先週末、「宮城県石巻での支援活動 報告会」に行ってきた。
http://ameblo.jp/finegood/entry-10859836874.html
プレゼンターは、神戸・六甲にあるアウトドア・ライフスタイルショップ「白馬堂」の浅野さん。写真を使ってのやさしい語りはわかりやすく、それだけに何度も涙がこぼれた。
写真の一部は、『四万十塾:高知リスポンス協会』のWebサイトに。浅野さん(あさやん)のレポートもある。
http://40010.net/modules/tinyd4/index.php?id=9
掲載されている写真は明るいトーンのものが多いように見えるかもしれないけれど、それらはおそらく意図的に選ばれているもので、実際は話を聞くだけでも過酷きわまりないものだった。命に直結した現場なのだから、当然といえば当然のこと。わたしたちは、ふだんなにげなく使っている以上のイメージ力を発揮する必要があった。
以下、手元のメモから転記してみる。できるだけ聞き取ったそのままに。遅れて参加したため、はじめの30分間は空白だ。
●支援物資の中で、古着がひどかった。神戸の人たちはわかっているからそんなことはしないだろうけど、捨てる代わりに送ったのでは、と思うものなどがあって、あまりのひどさに驚いた。そういう箱を開けるたび、現地の方々は涙を流しておられた。
●僕たちの活動は、生活基盤をいっしょにつくり上げ、つくったら次の場所へ行く、というスタイル。
●避難所の中は、泥でいっぱい。海に近ければ近いほどひどい。土嚢で隅に寄せたり、外へ運び出したり。泥を取り除く作業は、ボランティアの役目で、すべて手仕事。(避難所の)床が見えると、うれしい。
※有人さんのphotoレポート
http://www.facebook.com/media/set/fbx/?set=a.10150162898222208.308933.744422207&l=df3f2c03f5
http://www.facebook.com/media/set/fbx/?set=a.10150163703327208.309187.744422207&l=c3efa285dc
●避難所に物資を整理・管理する倉庫をつくった。物資を守るパトロールも必要。
●役所には、たとえば札幌などから応援に駆けつけた行政の方たちがいる。何もわからないままに奮闘しておられるので、彼らのこともはげまさないといけない。
●すでに充分すぎるほどがんばっている人たちに、僕は、がんばってとは言えなかった。
●石巻に入っているボランティアは、約1,000人。神戸の時は20,000人だったから、被災地域がいかに広範囲か、ということ。
●炊き出し用の鍋は、満タンで500人分つくることができる。
●炊き出し作業は9時に入って、12時ごろに提供するという流れ。
●大工さんがテーブルをつくってくれて、それだけで場が華やかになった。それまでは椅子だけだった。
●届けられる野菜は、風評被害にあって関西には入ってこない…茨城や群馬などのもの。
●賞味期限のすぎたおにぎりなどは、配られることなく余っている。
●あちこちに小さな避難所があって、そこを見つけていくのも僕たちの活動。小さな避難所ほど、復興が早い。
●僕は道を覚えること、人の顔を覚えることが得意なので、「今すれちがった人、さっき避難所で見かけたよ」「よし、行ってみよう」ということも。
●何度も泣いた。
●仲間たちとベースキャンプを設置して、そこを拠点に活動した。だから、活動を続けることができたのかもしれない。夜は物資のすきまで眠った。寝返りをうつと、仲間のうえに段ボールがくずれおちたり。
●人は直接会うと安心できる。
●自衛隊の人たちの大変さを目の当たりにした。「お願いだから食事をとってください」とお願いしなければ、彼らは食べられない。
●近所の水産加工工場から流れ出た、何万トンものイカが民家に。それを取り除く作業が大変だった。
http://40010.net/modules/tinyd4/index.php?id=13 ←4月11日のレポートに、イカの大量写真が。
●単1・単2の乾電池が、本当にどこにもなかった。一体どこにいっちゃったのか。
●当時、東北道にはパトカーと救援物資を運ぶ車両だけが走っていた。
●ヘドロが渇くと、すべてほこりになる。
●小さな子どもの数が少なかった。逃げられる人は逃げている。
●ネオンがなかった。電気が通っているところに行くと、電気ってすごいなと思った。
●向こうに仲間がいて、届けるきっかけがあった。
●今、本当に日本はあぶない。僕は、より多くの人に直接話すことで、支援について考えてほしいと思っている。重要なのは、(復興までの道のりが)長期にわたること。
●面積で考えると、日本のおよそ1/5が機能していないという現実。僕たちは、だから、消費・生産活動をこれまでの1.25倍にする必要がある。そうしてはじめて、震災前の状態にもどる、のかも。
●自分にできることはなんだろう。個人的には、もう一度行きたいと思っている。
●僕達は、御用聞きのようなことをやっていた。長靴、つなぎ、かっぱなど復興作業に必要なアイテムを求める声が多かった。
●米なら、無洗米がよろこばれた。
●最も望まれていたのは、花。お供えする花がほしい、とのことだった。
●次に、洗剤、ヤッケやつなぎなど生活や作業に関わるものを求める声が多かった。
●長期的な支援を考えるとき、まず大切なのは個人。一個人として何ができるか、支援するスタイルを探すこと。なにか、ひとつでもアクションを起こしてほしい。
●石巻まで約1,000km、車で12時間。六甲山を縦走したことのある人なら、だいたい同じくらいの時間をかければ現地へ行ける。
●放射能を恐れることより、まず人の命が大切だ。とにかく、人が足りていない。いま助けないといけない人がいる。
●県や市が飛行機をチャーターして、ボランティアツアーを組んだらどうだろう。市民はボランティア活動に参加しやすくなるし、旅行会社にもお金が入る。
●僕は自分の店を10日間閉めた。もちろん、大打撃。長期的に、自分の暮らしを保てるだけの稼ぎを得ながら支援していく方法はないものか。それは、みんなに言えること。
●いま、僕たちにまずできることは、いっぱい遊んで、いっぱい働いて、いっぱい飲んで、全部を1.25倍にすること。
転記は、以上。
浅野さんの語りは、民間だとか行政だとか区別することなく、目の前の世界を涙でうるむあたたかい目で見つめた末に生まれたものだ。だからひとつひとつの言葉が胸に染みいり、それぞれに考える余地を与えてくれた。
中でも「全部を1.25倍にすること」というメッセージはわかりやすく、それならわたしたちにもすぐできる、と思えるものだ。実際に、1.25倍というのがどのくらいなのかはわからなくても、手ざわりのある目標は、やっぱりあった方がいい。
ちなみに浅野さんは、六甲山の地図を描いている、すごい人。
被災地での活動に限らず、いろんな活動報告はフラットに、ピュアに話せる人によるものがいいなぁとあらためて思った。さらにあちこちで報告会が開かれるなど、浅野さんが感じたことを、たくさんの人が共有してくれますようにと願っている。